「8」の日に生まれる、駆け込みの空気
12月28日。
街の空気が、ひとつ切り替わる。
スーパーやホームセンターの入口には、
正月飾りの特設コーナーが並び、
人の流れが一気に濃くなる。
この日は、
正月飾りを出すのに「縁起が良い」とされる日だ。
理由は単純で、「八」が末広がりだから。
29日は「苦」を連想させ、
31日は「一夜飾り」で失礼にあたる。
その結果、
28日だけが安全圏として浮かび上がる。
「今日中にやっておかなければならない」
という、あの独特の締め切り感。
日本人の真面目さが、
最も分かりやすく可視化される日でもある。
しめ縄は結界、門松はアンテナ
ここで少し、
ラボ的な視点を挟んでおきたい。
正月飾りは、
単なる季節の装飾ではない。
民俗学的に見れば、
あれは一種の 装置 だ。
- しめ縄:
ここから内側は神聖な領域だと示す、
いわば「結界」。 - 門松:
年神様が降りてくる際の目印となる、
「アンテナ」あるいは「依り代」。
目に見えないものを迎え入れるために、
目に見える装置を設置する。
非常に原始的で、
同時に、驚くほど合理的な発想だと思う。
家の安全を守りたい。
一年を穏やかに過ごしたい。
その切実さが、
玄関先に静かに置かれている。
では、私は飾るのか
結論から言えば、
私の家には何も飾っていない。
しめ縄も、鏡餅もない。
玄関は、いつも通りの状態だ。
物理的な結界を設置する代わりに、
私は 意識の状態 を整える方を選んでいる。
部屋を整え、
余計な音を減らし、
心を荒立てない。
この「動じない状態」そのものが、
私にとっての結界であり、
アンテナでもある。
また、
飾れば必ず「片付け」が発生する。
松の内が明ければ、
お焚き上げという次の行動が待っている。
その一連のタスクが
静けさを乱すのであれば、
最初から設置しない、
という選択も成立する。
あくまで、
これは私個人の設定にすぎない。
「飾る」も、「飾らない」も
今日、正月飾りを整えた人。
それはそれで、
とても健全な行為だと思う。
一方で、
「今年はいいかな」と
静かにスルーした人。
それもまた、
状況を見極めた選択だ。
形式を守ることも、
形式から距離を取ることも、
どちらかが正しいわけではない。
重要なのは、
自分が最も落ち着く配置を選べているか
という点だろう。
今日は、
ただの穏やかな日曜日でもある。
私はこれから、
他人の家の立派な門松を
「借景」として眺めながら、
少し歩こうと思う。
持たずに、眺める。
それもまた、ひとつの距離の取り方だ。
Silent Logic 編集長
鏡 司

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